御利益談
三年前高齢で亡くなられた萩原三笠さんの家の跡取り、功さんの現証談です。
萩原三笠さんは鹿児島県議会議員を二十数年務められた鹿児島県県政に貢献をなされた人で、また全国和牛登録協会会長等歴任され亡くなられるまで畜産業発展振興のため尽くし広く多大の業績を残され日本畜産業界にこの人ありという唯一の重鎮の人でした。この三笠さんは毎朝三時間お看経を頂かれる口唱の人でした。謙虚な方で一信者として生涯を通された人です。そして、中央政府等に陳情に行くときにはお数珠を首にかけて行ったら通らないことはないと、お数珠をアクセサリーのように常に首にかけておられたことで有名な方です。
「飼育の牛が全国大会で
グランドチャンピオンの御利益」
第二城西教区第三本要組 萩原 功ありがとうございます登美子(筆者)
私は親の代からの信者で、朝夕のお看経の仕方とかいろいろのことは親から教えられてきましたが、主人は養子に来て最初は全くといってよいほど信心の気配はありませんでした。いつも月一回のお総講には片道一時間ほどかけて山あいの道を私と長男と二人だけでお参りしておりました。家に帰り長男が現証談を話しても、主人は「治る時期が来ていたのだろう」と、なかなか信じてくれませんでした。ところが子供が就職して家を出たものですからお講参詣は私一人のお参りになり、それで主人は女一人の夜道も大変と思ったらしく一緒にお総講にお参りするようになりました。それがご縁で御導師様の御法門を頂くたびにありがたいと思うようになり、いつのほどにか自分から御宝前の前に座るようになりました。
ある日主人の肛門の中にしこりが出来、それがコロコロして気にしていました。私は病院行きをすすめましたが、場所が場所だけに嫌がっておりました。本人が、ふと御供水さんを思い出し頂くようになってからだんだん小さくなり、その上お総講の時、多くの方の御題目の上がった御供水さんを湯飲で七、八杯頂いたところ、その時一すじのすじ状になりやがてそれも消えていきました。そのほか、いろいろの現証を我が身でとらえたようです。それ以来、主人は私以上に御法のありがたさ、御供水さんのありがたさを感得していったようです。昭和六十三年に母が亡くなりました。それは十二月の寒い時季でした。亡くなった翌朝、父は離れから母屋の遺体を置いた部屋に来て亡き母の顔に自分のほほをあて、手は床のふとんの中に入れ「ばあちゃん、寒かったろう」と言ったとたん姉に「妙子、お前ばあちゃんに電気毛布を入れたね」と申しました。もちろん遺体に電気毛布等入れるはずはありません。それほど温かくてクタクタでした。姉は父に「これがいつも御法門で聴聞しているとおりのこの御法での成仏の姿なんですよ」と話しておりました。父は大変感動したようです。その後、父も高齢でしたので、母を追うように平成二年亡くなりましたが、両親のすばらしい臨終成仏の姿を見て主人は益々信を固めたようです。
そして平成三年七月二十一日、本薫寺開導会の日は私たちにとっては、到底忘れることのできない御利益を頂いた日です。私の家は親子二代の畜産農家で、常時生産牛を八十頭くらい飼育しております。ほとんど毎年鹿児島県畜産共進会に牛を出品しております。その年の十月に出品するよう選ばれた牛が突然原因不明の病気にかかり、熱が四十度以上も出て食欲もなく獣医が血液検査、尿とあらゆる検査をしても異常が見つからず治療の方法がなく毎日点滴だけの日が一週間以上続き、熱は少しも下がりませんでした。牛は衰弱する一方で、十日ほど経った時は瀕死の状態になり、獣医にあきらめるように言われ、主人も私も力を全く落としてしまいました。その時、もうこれは御宝前におすがりするしかないと思い、夜二人でお看経をして御供水さんを牛に飲ませました。その夜は長男(農協の牛の技術員)が開導会にお参りするために帰宅しました。長男は牛の様子を見てびっくりし、明日お寺の御供水さんを頂いてこようと言ってくれました。前夜のお看経と御供水さんのおかげでしょう、翌朝牛を見に行きましたら、えさを少し食べるようになっていました。ちょうどその時、獣医が来て熱を測りましたら一度下がり三十九度になっていました。少し安心して皆で開導会にお参りして、さて帰る時に御供水さんを入れるびんを忘れたことに気付きました。途方に暮れていましたら子供二人がジュースの一リットルびん三本を買い求めて来て、中身は全部捨てて御供水さんを頂いて帰りました。帰ってすぐ二本飲ませ、また夜残り一本を飲ませて親子四人熱が下がるようにお看経してその夜は寝ました。翌朝様子を見に行きましたら、重体のはずの牛が、何と、えさも十分食べて熱もすっかり平熱に戻っているではないですか。獣医もびっくりして頭をひねって不思議がっていました。心配していつも見に来てくれる農協の技術員も御供水さんの話をしましたら、姉が来た時に「お宅のお寺のお水、聖水と言うのか、よく効くね」とびっくりして話したそうです。もう何の治療法もなく、死を待つばかりの牛が御供水さんのおかげでその日を境にどんどん元の体にかえり、目指す県の共進会に出品できました。そして、その上見事に優勝するという考えられないような栄誉の御利益を頂いたのです。
また、その一年後の平成四年十月、五年に一回開かれる全国の牛のオリンピックが大分で開催されました。これは牛飼いならだれでも一回は参加してみたいと思う晴れの舞台なのです。私の家は県の代表に選ばれましたが四頭一緒で出す部門です。それは父親牛がそれぞれ違った母親牛に受精させて生まれた子牛四頭を出す部門です。私家には、その子牛二頭がおりましたので、他の家二軒に受精させて出来た子牛を入れての四頭です。その出品のため私の主人が育て始めたときは、それぞれの体型も性格も能力も非常に皆違っていて、ものになるかどうかも分からない状況でした。主人と私はお看経を頂き、御供水さんを頂かせて育てました。そうしていたら不思議なことに大会の日が近づくにしたがってどれも父親牛そっくりになり、体格隆々と育ち、どれがどれだか区別さえつかないようになりました。大会にこの四頭を出品しましたところ、それが全国より選りすぐられた牛ばかり二百数十頭の中で第一位グランドチャンピオンを頂きました。内閣総理大臣賞、農林水産大臣賞、韓国共進会会長賞その他からたくさんの賞を頂き、本当に感無量でした。私たは牛たちに少しでも異常があれば、すぐに御供水さんを頂かせるようにして育てました。出発の前日も一頭の牛が下痢をし始め、大分までの車の中大丈夫かなと心配して御供水さんを頂かせて乗車させました。道中何事もなく、大分に約一週間おりましたが、本当に何事もなく無事に終わりました。審査員の講評の中に、今までどの大会でも聞いたことのない、「この牛は光り輝いていた」とのお褒めの言葉がありました。鹿児島県としても初めての優勝で、その関係の人たちの喜びようも大変なものでした。これらすべて御法様の御加護の賜物、また御導師様の御教導の賜物と深く感謝いたしております。本当に一信者には身に余るような御利益現証を頂いております。今後いっそう信心改良して皆様の御信心に少しずつでも近づきたいと思う日々です。
ありがとうございました。 萩原登美子