寺報3号

信心ということ

植田日因(淳明)


 さて、「信心ということ」と殊更のように私が言っておりますが、私が特に言っているということではありません。本門仏立講を開講された大尊師日扇聖人が、「信心といふ事」と、殊更に仰せになっておられるのです。 

 「信心といふ事」というお題で詠まれた御教歌が二首あります。

       お題「信心といふ事」 

               おのが身をいのる事かと思ひしに

                                  人を助くるそれが信心
       お題「信心といふ事」

             信心をすゝめんと思ふこゝろこそ

                            そこが功徳のわく処なれ 


こう仰せられております。

 自分の身を祈る事が信心かと思っていたが人を助ける事が信心だった、と仰せになり、また、信心をすすめようとも思う信心のすすめ心が功徳のわき出でる泉であり、真の信心であると仰せになっているのです。

 これは、とかく世間の誤った信心の感覚が、当宗の信心のとらえ方になりやすいので殊更仰せになってのことです。神社に参ってパンパンとかしわ手を打って商売繁盛家内安全と祈ったり、念仏等のように死んだら自分だけが極楽浄土に行けるように寺詣りしたりするのが信心だとする信心の仕方、それが世間のほとんどで、自分だけの利己的な事を満足させる事が社会全体的な信心の感覚です。

 しかし、お互いの頂いている御法様は絶対唯一の御法様であり、信心は世間と同一視した凡庸なものではありません。自分自身が現在仏に成ってゆく修行の信心です。ですから、信心の仕方も自分よりも御法様を大事にし他を大事にし、他を救うというのが信心だということです。

 そこで、このように言いましたけれども当宗のご信心で、普段自分の事を御願いさせるではないか、と言う人があるかと思いますが、その点で大尊師日扇聖人が言われてる事は、世間一般の謗法の者は現世の願いが中心だから、その願いを橋渡しとして仏の道に引き入れるのであると仰せになっています。偉大な御法様なるが故、末端の至らない凡夫をよく御承知の上、凡夫の望みをかなえながら高邁な仏の道に引き入れようとしてくださる大きな御慈悲、それがこの御法様にあるからです。つたない凡夫の願うところ、偉大な御経力で御利益を頂きますし、一切の希望がかなえていただけます。素晴らしい御法様です。その御法様を肌身で感得させるため祈らせ、現証御利益を拝見させるのです。祈る者が御利益を知って感激し、御法様の偉大な事が分かったら、それからは、真の「信心ということ」を知って行じてゆかせる、そういう仏道、信心修行の過程が組まれているのです。それが分かってこそ本格的な信心になるのです。

 さらに、大尊師の御教えでは「法体の折伏になる」と言われております。この上行所伝の御題目を唱えることによって、御題目の法の力がはたらいて、一切の人はもち論ながら、見えない霊界、天地、その他一切の者の心の奥底に潜んでいる仏性(仏の心)を引き出させる功徳があると言われています。御題目口唱によって世の中が教化しやすくなってくるのです。ですから、この御題目で自分のことを祈っているようにはありますが、知らずはからず他のためにしている信心となっているのです。ありがたいことです。

 ところで、祈る本人が分からなくても、知らずはからず他のためになっているということを御法様の大きな御慈悲の面からお話しをしましたが、これは、ほんの御法様の入り口の信心です。それも入信当初はそれでもよいかもしれませんが、しかしいつまでもただ自分のことだけの信心をしていますと、いつの間にか利己的に凝り固まった信心になってしまい、御法様の御心からはみ出し、上行所伝の御題目を頂いていても謗法の人と何ら変わらない信心に成り下がり、御利益も頂けず、成仏も出来なくなってしまうことがあります。これを「二乗根性不成仏! 利己的な信心は成仏出来ない!」と大尊師は凡夫の信心の陥りやすいところと大喝一声、叱責されております。ですから何としても御法様の中心に入った信心をさせて頂くようならさせていただかなければなりません。単に、自分のことだけの世間一般的な信心でなく、本来の当宗の「信心といふ事」

       おのが身をいのる事かと思ひしに 人を助くるそれが信心 

       信心をすゝめんと思ふこゝろこそ そこが功徳のわく処なれ 

ということがよく心得られ、身も心もそのようになった御信心をさせて頂き、本格的な一人前の御信者にならさせていただくことが大事です。

そのように、自分の利己を離れて御法のために人のためにする信心、御法で人を救う信心をさせて頂きますと、御法様の無限の御経力を感得し、自分の力でなく御経力で全てが都合よくお計らいを頂き、人にも御利益を施し、知らずはからず我が身がこの現世において仏と成ってゆき、未来も成仏疑いないという姿にならさせて頂けるのです。