寺報5号

臨終の相・姿
臨終の相・姿に成仏か堕獄の相が現れる

植田日因(淳明)

                                                         

さて、高祖日蓮大菩薩は妙法尼御前御返事に、

(本文)

 「先づ臨終の事を習うて後に佗事を習ふべしと思ひて」と仰せられています

(解釈)

〃生涯に誰しも必ず迎えるのは臨終(死)ということである。であるからこの生涯で一番大事な臨終ということを何を置いても解決しなければならないと、そう思って、臨終ということを先ず勉強して、それから後に他のことを勉強すべきだと思って〃

と仰せになっているのです。

更に、この御文に続いて仰せになるのに、 

(本文解釈文)

〃このことについて、お釈迦さんの一代の御教えを研究して師匠といわれるようになった人々の臨終に関する論説やら、書き物等を集め調べてみた、そしてそれを手本にして一切の人々が死ぬ時の状況や死んだ後の相(すがた)とを比べて見たら少しの曇り違いがない、それにかかわらず、その人の臨終の相(すがた)を見てみると、この人は地獄に落ちている、また迷いの世界に落ちていると見えているのに、世間の人は兎角自分の師匠や父母の臨終の相(すがた)の悪いのを隠し西方十万億土の極楽浄土に行ったとのみ言っている。悲しいことである。師匠は地獄に落ちて耐え難い多くの苦しみを受けて苦しんでいるのに、弟子はこの娑婆にとどまっていて師匠の臨終を讃えているが、それは、なお一層師匠の地獄の苦しみを増長させていることである〃 と仰せられているのです。

 そしてこの御書にその臨終の相(すがた)の種々についてお示しくださっています。しかし詳細にわたりますので、ここでは直截簡明にお示しの千日尼御前御返事の御文を掲げてみます。

(本文)

 「人は臨終の時地獄に墮つる者は黒色なる上、其の身重き事千引の石の如し。善人は設ひ七尺八尺の女人なれども、色黒色なれども、臨終に色變じて白色となる。又輕き事鵞毛の如し、やわらかなる事兜羅綿の如し」と仰せられています。

(解釈)

 〃人は臨終、死ぬとき地獄に落ちる者はその遺体が黒色であり、その身の硬いこと重たいことは岩のようである、反対に法華経を正しく行じ、真の善を行ずる善人、すなわち成仏の人はその身が二メートル二、三十センチの大女で、生前色が黒い人であったとしても臨終のときには遺体が変わって色が白くなり、またガチョウの毛のように軽くなり遺体がトロ綿という花綿のように軟らかくなる〃 と仰せになっているのです。ところでこのようにお祖師様(日蓮上人)の御書の御文を挙げて臨終のこと、臨終の相(すがた)についてお話をしましたが、これは本薫寺の現証(法が真実であり正法であるという現実の証拠)として大事にしてきていることだからです。事実はっきりしています。特に本薫寺ではこのお祖師様のお示しのとおりの成仏の相(すがた)が、ご信者に現れます。亡くなられた遺体が生きているときよりも白く奇麗になられ、クタクタに軟らかく軽く、そして出棺までも温かみさえあるという素晴らしい臨終の相(すがた)が今日までほとんどです。世間の遺体とは全然違います。初めてこんなのを見たと言って吃驚された方も多いようです。臨終の時も安らかな臨終です。それも御信心を素直に強盛になさった方ほどりっぱですネ、池田袈裟男さんという方は高齢で亡くなられましたが、御法を弘めるためにお教化をよくなさった方で亡くなられるまで、「ご弘通じゃ、ご弘通じゃ」と言っておられました。亡くなられる前日までは全く元気にしておられたのですが、翌朝午前二時ごろ突然奥さんを起こされ「俺は逝かせてもらう」と、言われたそうです。奥さんは吃驚して「父さん悪かったら薬を飲んだら」といったら、「いや俺はどこも悪くない、逝かせてもらうのや」と言って、子供のことをあれこれ話し、奥さんは機嫌よく話しいるなと見ていたら、鼻くそを指でほじくっているので、「父さん汚いが」と言ったら、「フフ」と笑ってそのまま手が止まった、それが臨終です。私はお通夜に行きましたが、本当に笑ったままの寝姿でした。遺体もクタクタに軟らかく、生きているのかと思うほどの姿です。本当に素晴らしい姿でした。このようにご信者は安らかな臨終をしますが、大尊師日扇上人が仰せの通り、やはり生前の信心の功徳の積み方によって安らかさの違いがありますネ、私は今日まで四十五、六年の教務の御奉公をしてきてたくさんの臨終を見て来ていますが、生前の御信心との因果があることをつくづく感じます。中には生前の信心が悪く、遺体が黒かったり硬かったりする場合もまれにはあります。その時は御講師さんや、ご信者がその悪かった点を家族に折伏し、家族が本人になりかわり、そして家族も共々に御宝前に懺悔を申し上げ、お看経をあげますと、見事に遺体の色も変わり軟らかくなるという現証が今日まで現れております。本薫寺として硬い遺体のまま出棺するということは許されないこととなっております。

 この御信心は臨終に成仏の現証の現れる素晴らしい御信心です。日ごろの御信心の積み重ねが、また自分の臨終に現れます。臨終の相(すがた)が、まことに大事であるということをお話しました。

 大尊師日扇上人の御教歌を挙げておきます。

               しなぬ人一人もなし心得よ    臨終の事大事也けり