植田日因(淳明)
さて、本薫寺は絶対の御利益を現して法を弘めております。それはここに真実の法、仏の生きた法が存在しますよと証拠だてての布教です。御利益のことを現証(現実の証拠)というのがそれです。
大尊師仏立開導日扇聖人は御指南に、
「折伏宗なれども、在家止住の身として御法義を学んでと云ふ事は無理也。在家は互に経力に非ずば信は起り難し。されば本門流通の為には御利益ばなし也。何も如来の御慈悲をしらぬ信者は無用の物語りのやうに思ふべけれど、是即妙法蓮華経の用玄義也。根本々地甚深の奥義と云ふものは、直に道俗男女の耳には入れ難し。故に法華経の殊勝なる事を知らしめて仏道に引き入るゝが、即是を法華の用玄義と云ふもの也」
と仰せくださっています。
この御文をわかりやすく言いますと、
〃この御信心は折伏宗といわれ、その修行の仕方は、この御法が絶対真実の唯一の法であるということを世間に宣明し、理非を正して世間の宗教の誤りを正していくという折伏の行き方であるが、一般信者の身としては法義教義を勉強して折伏していくということは無理なことである。また、一般の人に、真の信を起こさせるのには御法の経力を知らせる以外にはない。それ故、御法を弘めるためには御利益話が何よりである。仏様の御慈悲の深い御心を知らない信者は、御利益話が何か卑しい必要のない物語りのように思うであろうが、そうではない、これは妙法蓮華経の用玄義(法の深い働き)である。妙法蓮華経の実体とか幽玄な根本の深い意味合いとかいうものは、一般の者たちには話してもわかるものではない。それ故、法華経、妙法蓮華経の素晴らしい姿の現れである御利益を知らしめて仏の道に引き入れる、このことが法華経の用玄義というのである〃
と仰せくださっているのです。
更にこの御文の用玄義ということですが、「用」とは作用、働きの面です。「玄義」とは深い意味合いということです。そこで妙法蓮華経の全体像からそのことを話してみますと、お互いが頂いている妙法蓮華経は生身の如来、真の生きた御仏ですが、その全体像は私たち凡夫の眼には現実にお姿として拝見できません。しかし、その全体像として総合されたお姿を名・体・宗・用・教の五重玄の妙法蓮華経と申し上げる、その中の「用」、用玄義は妙法蓮華経の作用、御働きですから、私たち凡夫に対する仏の御慈悲、お救いの姿として、働きとして私たち凡夫間近に拝見できるのです。ですから「妙法蓮華経の用玄義也」と仰せになり、末法は無仏世といわれ、人のお姿をされた仏はこの娑婆にお出ましになられないけれども、法のお姿としてお出ましになっておられる、それが上行所伝の妙法蓮華経であり、その妙法蓮華経が生きた御仏であるということが、その御働きによって拝見できるということです。それが御利益現証であると仰せられ、何も卑しいものでもなければ無用のものでもない、仏のお姿を拝む唯一のものであると仰せられ、御利益現証を尊ばれているのです。本薫寺では今この御利益現証がどんどんとお現れになっております。御利益の花が咲き誇っております。それによってこそ生きた御法様が本薫寺におられ、本薫寺の御法様こそが正法であるということの証明でもあります。
また、このことについて更に言いますと、本薫寺の御利益現証の話は、〃そんなことがあるだろうか〃と世間の人には信じられないぐらいの不思議な話ですが、それを体験した者の感激の境地は言葉に尽くせないものがあります。
大尊師は御指南に、
「南無妙法蓮花経ト唱ル人ヲ晝夜身ニ影ノ添フガ如ク 響ノ音ニ応ズルガ如ク 釋尊上行日蓮大士ハ守らせ給ふこと 信者少シモ疑フコトナカレ 此御事心腑に染付キ骨身ニコタヘテ感得シ奉レルウレシサハ筆紙ニ尽ス事能ハズ 経云唯獨自明了餘人所不見文」
と仰せられております。
この御文を要約しますと、〃この御信心をして自分自身が真に妙不思議な御利益現証を体得する、そのことによって生きた御法様が常に自分のそばにおられるんだなあということが心の底にこたえ、腹の底にこたえ、骨身にもこたえて感得させて頂く、そのうれしさは筆紙に書いて表現しようとしても表現しきれない、話しても話しきれない感動であり、聞く方はまだその十分の一、百分の一もわからないものである。御経文に「唯独り自分のみわかり、他の人のわからない境地である」と言われている、そのように感得した者のみがわかる素晴らしい境地である〃と仰せられているのです。
そういう素晴らしい御利益現証の境地が本薫寺にあります。それを何としても世間の人にもわからせ、真実仏の姿を見させようと御利益現証をもって布教し、この乱れた世を救い人を救い、真実仏の世界を築いてゆこうと本薫寺は懸命な努力をしているのです。
この法話は、できるだけご信者にわかるようにと砕いて書きました。しかし少し程度が高いという人もおられるようです。それでどうしようかと思いましたが、現在仏立宗全体で御利益現証が軽軽しく取り扱われ、重きをおかない風潮があり、また御利益現証がなかなか現れないということを聞きます。それどころか、悪現証が出ているのにそれを問題視しようしない指導者も多いようです。それで、それに対する折伏を兼ねてと思いましたのであえて載せました。ご信者でわからない所は直接お聞きください。