御利益談
城東教区 新留和昭
昭和六十三年四月、以前から時々腹痛があったのが、急に針で刺すようなキリキリした痛みに変わってきました。そのうち背中も痛みだし、我慢できない痛みになったため、これはただ事ではないと思い、四月六日、天保山記念病院で診察してもらいました。
胃の透視、血液検査、尿検査等をしましたが、異状なし。念のため、エコー試験をしてみましょう、と言われて、診察してもらいましたが、途中、先生が一人、二人と増え、最後は四人で私の腹部の写真を見て、こそこそ、話し合っていました。しばらくして、「あなたの、おなかの中に何か写っています。ここは普通何もないところなんですよ。」、と先生から言われ、「新留さん、よく腹をすえて聞いてください。実はあなたの、おなかの中に直径四〜五センチ、縦七〜八センチの腫瘍が写っています。これは水でも血の固まりでもないと思いますが、念のため断層写真を撮ってみましょう」と言われ、豊嶋病院を紹介されました。
翌日、早速写真を撮り、その結果を天保山記念病院に聞きにいったところ、「最初の診断どおり、すい臓の近くに腫瘍ができています。詳しいことは、一週間ぐらいの検査をしてみないと解らないが、このままほおっておいたら、良くないので、手術は必ずやらないといけない、それも早いうちがいいです。」と言われました。
まさか、自分のおなかに腫瘍ができているなんて、何か人ごとのようだと思いながら聞いていたのが、先生の言われる真剣な言葉に、これからどうなるのだろうと不安でいっぱいでした。しかし、病院の誤診ということもあるかもしれないし、他の大きな病院でもう一度診てもらおうと思い、翌日の四月八日、市立病院へ行きました。
その日は外科部長さんの診察で、今までの診断結果を話したところ、「それでは、うちでも『CTスキャン』を撮ってみましょう」、ということになりました。その診断結果は、前の病院と全く同じで、入院して手術してくださいとのことでした。そのとき、初めて事の重大さに驚き、先が真っ暗になりました。
その日の夕方、託児所に子供を迎えに行った妻が、私から連絡を受けていた入院云々を松山さんに、ポロリと漏らしました。そのとき、本薫寺のご信心をお聞きしたことを、ふさぎこんで帰ってきていた私に、妻が話してくれました。
信心で病気は治らないと思いながらも、とりあえず、お話だけでも聞いてみようと思い、翌日、定広お講師様のお話をお寺に聞きに行きました。いろいろな御利益談を聞いて、半信半疑ではありましたが、このご信心で治るものならばと思い、入信することにしました。
早速、翌日の(昭和六十三年四月十日)昼間に御本尊掛けが行われました。しかし、夜、もし自分が死んだら、葬式のとき、宗教が違うと、親族が来てくれないだろう、これでは妻子がかわいそうだと思い、妻と二人で、松山さん宅へ御本尊をお返しする積もりで行きました。そこで松山さんから、「あなたを死なすために、このご信心を勧めたのではない、あなたを助けるためです」、と言われ、思い直して、この信心にお縋りしようと決心しました。
それから、朝の五時から、教化親の松山千代子さんと、お寺でお供水さんを頂きながら、御祈願を始めました。お供水さんは一日三升頂きました。また、夜は教区内のご信者さんたちが、お助行してくださいました。三日程して、病院のベッドが空いたということで入院しましたが、その間も、妻が二、三本づつ運んでくれたお供水さんを頂きながら、お看経を上げていました。
そして、一週間の検査が、十日間に延びて、その途中で、レントゲンを撮ったところ、最初ハッキリと写っていた腫瘍が薄くなっていると言われました。しかし、他に転移していることもあるので、手術をすることになりました。
手術中は、ご信者さんたちが、私の家で、手術が終わるまでの約四時間ずっと、お助行をしてくださいました。手術が終わり、麻酔から、目が醒めたとき、部長先生が、「新留さん、あなたは、またこれで長生きしますよ。」と言われ、そのとき初めて、自分は助かったんだなあと思い、この御法のありがたさを、ひしと感じました。
手術の結果は、腫瘍が、膿胞に変わっていました。その後の回診で、先生たちが、カルテを見て、「不思議だねえ、ハッキリ写っていたのが薄くなって…研究資料にしよう。」、と話されていました。 あれから二年、二歳と四歳の子供達の笑顔を見るたびに、自分が生きていることの幸せを感じる毎日です。この御法を勧めてくださった教化親に、心から感謝をすると共に、しっかりご信心に励まさせて頂き、他の人達にもこのご信心を勧めさせて頂きます。ありがとうございます。
(平成二年 四月三日)