この文章は昨年(平成二年)に書いたものですが、発表する機会を失っておりました。机の引き出しの奥にあったのを取り出して、今紙の現証談として紙面を埋めることにします。
ユングの心理学で、心を全体として見て、全き人間を求めるところに真の宗教があるとした 〃全体性〃それがここにあるという 〃御経力による現世即身成仏〃 その現証御利益として挙げてみました。これは当寺のほんの一例です。〃現世に於ける仏・菩薩の世界〃 〃現証経力による信の世界〃を垣間見てください。
淳明今年九月、新たに当本薫寺に当年四〇歳の若手の事務局長が誕生しました。私の子飼いの信者ですので、敬称は略しますが、久男、久男と普段言っております。小倉久男です。これが今日、本薫寺を代表する局長になったかと思うと私自身感慨深いものがあります。
話は逆上りますが、二〇年前、当本薫寺の第二城西教区がもう一つ振るいませんでした。ご弘通が伸び悩んでおりましたし、お参詣も少なく随喜度も欠けておりました。そういう時には、私は前から自分で直接ご奉公に当たり、御経力を頂いて、必ず弘通のお計らいにするという信念でしたので、その二城西教区の責任講師を補助にして自分が責任講師を担当することにしました。名体具実(名前はその体を現し一体のものである)という本門のご信心の在り方から、責任講師というものは名前だけでなく、それに即応した信心が伴っていなければならないというのが当宗の信心でもあります。
それで、この教区の御奉公を自分でするということで各御信者宅の巡回を始めました。小倉家に寄った時です。ここは当時洋服屋をしておられました。お父さんの小倉笑次さんと奥さんのユキさんが店の揚がりがまちで私に応対するなり、『お導師さん、うちの五男坊には困ったものです。仕事はしないわ、ちょっとしたことで腹を立てるわ、跳び出したら家に帰って来ないわ、することなすこと目茶苦茶です。どうしたもんでしょうか』と言われました。余程困っておられる様子です。そう言っておられるところに、久男が帰つて来ました。『お客さんがシャツ十枚とりにくるのを思い出した』と言ってミシン台で縫いだしました。この頃、久男は鶴丸高校(鹿児島では東大コースの一流高校です)を出たのですが家庭の都合で大阪のネーム刺繍学校に行き、帰って来て、小倉洋服店の看板の下に、0Hネーム刺繍店という看板を出し、店の片隅にミシン台を置いてやっておりました。話はもとに戻りますが、久男が縫っている際、丁度その客が来ました。客も久男の日ごろの振る舞いを知っているとみえて“腕は良いが惜しいなあ!”とつぶやいていました。十分程で十枚縫い終えたようです。代金七百円受け取っておりました。お客さんが帰った後、私は久男に言いました。『お前は以前、実業家になりたいと言って儂に信者の青年実業家に会わせろと言ったことがあったが、実業家になる道はお前の手元にあるではないか、十分、十枚で七百円、一分が七十円、一日は何分あるか! 糸代だけで元手はかからない、お前の腕は黄金の腕ではないか』と。これが胸にこたえたようです。それで私は更に、『サラリーマンになった積りでやって見ろ』と言い、本人の一日の仕事のスケジユールを作って黒板に書いてやり、『会社に通う積りでお寺に朝参詣してみろ』と言いました。彼は何を思つたか、『ちょっと待ってくれ』と言って、そのスケジュールを二枚書き、一枚を私に渡しました。スケジユールを複写した末尾に、[右することを契約します。 小倉久男 お導師様 ]と、ありました。契約という言葉を使って誓約と言う言葉を知らなかったのでしよう。そして『お導師の顔を見なかったら忘れるからお寺に参る』と言いました。それまでの彼の生活態度は全く放埒そのものでした。朝は十時にならないと起きないし、親がちょっと言えば反抗して家を飛び出して帰って来ないわ、仕事は二時間もしないし、糸が切れたり機械が故障したといっては、家を飛び出す。女の子を見ては引っかけて遊び回る。やくざと喧嘩する。全く皆の鼻つまみ者でした。もちろんご信心は全然しません。
それが翌日から、お寺に朝参詣始めました。三日坊主ということがありますので、私は三日目に行きました。すると案の定、『お導師が来よった! きつくなったから(つらくなったから)止めようと思っていた!』と言いますので、『二階に上がれ!』と言い、連れて上げ皆でお看経を上げました。次ぎの日は二日目。二日目には『社長が来た!』とか言って悲鳴をあげていた風です。そうしていましたら、さほど日も経たない、いつの程にか人が変わってきました。顔付きまで穏やかな顔になり、仕事もまじめに一生懸命するようになり、私のお講には迎えに来て御奉公するようになり、家庭でも落ち着き、家族で団欒をする光景を見受けるようになりました。店の顧客の受けもよくなり得意も増えました。七台のミシンがパンチカード一つで連動して自動的に働く機械を思わぬ人から勧められ、店に入れたのがお計らいで、仕事が拡張し忙しくなりました。福岡に居た当時の電電公社に勤めていた兄夫婦二組を呼び寄せて一緒にこの仕事をするようになり、その後ビルを新築し、親兄弟家族を住まわせるようにしました。更に店をもう一度、一からやってみようという意志を起こしました。兄弟に従来の店を渡し、久男夫婦は別に土地、家を買い、新しくまた店を始めました。その時私に、『お導師さん不思議なもんやなあ、店を二つにすれば得意が半分づつになるものだが、兄の店もこちらの店も元の数のまま得意がついている。有り難いもんやなあ』と言っていました。そして現在も繁盛に繁盛を重ねております。私はこれには絶えず欲にとらわれて実を見失うことを戒め、ご法を大事にすることを教えています。本薫寺青年会同士の結婚をしました。相性の合ったほほえましいような夫婦で二児をもうけ、久男は子供には眼がない風です。幸せそのものの家庭を築いております。
このように久男の御利益を頂いた経過をひととおり話しましたが、その中で私が特に感銘したことがあります。
これは久男がどうやらご信心らしいものをし始めたころのことです。それと時を同じくして自動連動のミシン機械を入れ商売も軌道に乗ってきていました。突然、久男がやって来て『お導師、大学に行っている友達が眼が悪くなって失明するということやそうな。なんとか教化して助けたいと思うが、お導師手伝ってくれんか』こう言いました。それで一緒に行きました。私が行くという話が向う様に伝っていた風で家族で待つておられました。私は久男にこれも折伏の勉強させることだと思いまして、『お前まず話して見ろ!』と言いました。そうすると久男は相手の友達に、『おい!俺は高校時代、悪かっただろう』こう言いました。『うん、お前は悪かった』『俺は高校卒業しても面白くなくてな、皆大学に行っているのに俺は行かんしな、何もかも面白くなくて、もう目茶苦茶やってたんじゃ。仕事していてもな、糸が切れたといっては腹を立て、“このがんたれ機械(鹿児島弁で、この役立たずの、おんぼろ機械という意味)が!”と言ってミシン台を物でたたいて家を飛び出しよったんや。機械が故障したらこのがんたれ機械と言ってミシン台をたたいて飛び出す。ミシン台は傷だらけや。周囲は皆白い眼で俺を見ているし、何もかも面白くないからいっそのこと死んでやろうと思って自動車で海に突っ込もうとしたこともあったし、電車に突っ込もうと思ったこともあつた。しかし寸前でブレーキがかかるんや、ある時自動車で目茶苦茶に走っていたら、ふと、お客さんがシヤツ十枚取りに来ること思い出したんや。そんなこと初めてやった。家へ帰ったらお導師が来とったんや。そしたらお導師が、「お前の腕は黄金の腕や」と言われた。俺は“俺を知っているのはこの人だけや”と思った。そうしたら「朝参詣せい!」言うのや。朝参詣はつらいぞ! 朝は早いし、本堂の畳の上で正座やぞ、俺は正座なんぞしたことないから足は痛いし、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と、同じことの繰り返して唱えるのや、退屈やぞ、それに、ご法門というのがある。毎朝お講師さんというお坊さんのお説教がある。仏語が難しくてチンプンカンプンや、それをまともに聞いておらんなならんのやぞ、俺、学校で先生の言うことまともに聞いていたか』『うんにゃ(否)お前はまともに聞いたことはない』『そうじゃろ、もうやめたろかと思ったらお導師さんが来るんや、そうして続けていたらある日不思議なことが起ったんや。胸の内から、むらむらっとする心がおこったんや、俺の心が変わったんや。まず最初に起ったのは、“約束を守らにゃいかん”という心や。俺、学校時代、約束守ったことあるか』『うんにゃ(否)守ったことない』『それからお客さんとの約束を大事にして品物の納期を守るようにしたんや。そしたらお客さんが喜んでくださる。働くのが楽しくなる。ふと周囲を見るといつの間にか周囲の冷たかった眼も温かく変わっとるんや。御利益頂いて今の機械が入るし商売もうまくいつてこんな楽しいことはない。有り難いわ』
私はこれを聞いてどうして久男の心が変わったか初めて知りました。これは久男が話さなければ久男一人心の内のことであり、だれも分からなかったことです。その不思議さは本人だけが知っていたことでしょう。[唯独自明了余人所不見]「唯独り自分のみ分かる境地であり他の者の分からない境地である。」と、いう法華経の御文のとおりです。このご法は御経力によって凡夫の心の根底に仏の種を下ろして頂くとき全人格が変わるというご法です。本因妙の即身成仏、現世成仏ということはこのことだといえます。有り難いことです。
昨年、当寺の弘通部長を小倉久男に任命しました。弘通部員は久男が選出して三十歳代九名、二十歳代二名のそれぞれ現証を感得した若いながらも信心の強の者ばかりで編成しました。弘通部員で話し合いで昨年七月二十三日(当寺内だけの大尊師百回御遠諱法要)までには年の教化誓願家族一統転壇入信御本尊奉安百戸を達成しようということを決めました。
ところが、弘通部長の小倉久男、信心の上で感ずるところがあったのでしょう。昨年五月一日、御宝前に自分自身から次のようなお懴悔状を出しました。そのまま写します。
願主 小倉 久男南無三宝のご宝前につつしんで おさんげ言上し奉る。私は三月二九日、鹿屋別院において弘通部のお助行させて頂いた時に、約束の時間を三〇分遅れ、その時はたゞもすこし早く出る様にすればいいのだと反省だけにとゞまっておりました。
ところが昨日宮崎別院のお助行も十分遅れ、お助行中、目ではしっかりご本尊様を見て一生けん命お看経をあげていたつもりでしたが、どうしてもご本尊様と自分の心の間に見えないかべを感じ、ご本尊のお題目が見えませんでした。お助行には遅れるし、どうしてだろうと思っておりましたら、自分の心に間違いがあると思いました。それは私は弘通部長としての自覚をいつの間にか忘れ、見た目には一生けん命ご奉公させて頂いている様に見えても実は心のともなわない、見せかけのご奉公であり、ご弘通に対して本当に真剣身がない事に気づき、途中からはお助行というより、私の心のおさんげをさせて頂いたところ、かべがとれて本当にご本尊様にすいこまれていくようなお看経があげる事ができました。不思議だったと思ったと同時に自分の心の恐ろしさをつくづく感じ、今こゝに今までに犯しました心の謗法を書き出し、おさんげさせて頂きます。
一、以前から弘通次長の日高君から、心のおさんげをしなさいとお折伏頂いて、最近は担当のお講師より、心のおさんげが大事だとお折伏頂いたにもかゝわらず素直にすぐ実行できなかった事、
一、家の朝夕のお看経もあげたり あげなかったりでいいかげんだった事、
一、人に君は正直だと言われて自己満足していた心、一、弘通部員から、お茶菓子代として二千円預かり、それを後で返せばいいと思って自分の私用に使った事、
一、朝から夫婦げんかをして腹をたて朝参詣をさぼった時、お講師様から“何か家で変わった事でもあったのか”とわざわざ電話を頂いたのに”いや何もありません”とうそをついた事、
一、教化子に自分の信心のいたらなさをお折伏頂いたのに、それを腹をたてさかうらみした事
一、家内が足が痛いのに夫としての思いやりのない心、
一、自分はお導師様のお徳をすぐ頂けると思った思いあがりの心、
一、自分は信心改良すれば少しのお看経でも現証を頂くと思う、思いあがり、慢心の心、
一、お寺のご有志をけちった心、
一、班内のご信者の護法会金を期日通りまじめに集計しない、いいかげんな心、
一、我々信者は仕事を持ってのご信心だからお教務様方より信者の方が大変だと思った心、
一、連日のご奉公で、これでは仕事もたくさんできないではないかとご信心ご奉公に喜こびを感じない心、
一、朝参詣をしても悪い事が起き、朝参詣をしなくても思い通り仕事がはかどると御法様をうたがう心、
一、お助行で導師役をさせて頂いた時、あくびをして席主に隨喜を失わせた事、
一、お講師様から君は御看経中によく眠ると お折伏を頂き“自分はお講師より一生けん命あげてる”と心の中で腹をたてた事、
一、家の御宝前の前を肌着姿で すみませんと言って 横切り、本当にご法様は生きてましますと思わない心、
一、何事に対してもご宝前にお願いをしてからではなく自分のチエが先走った事、
一、今年は弘通部長という大変なお役を頂いたのでお教化百戸が成就するまではパチンコもしないぞと思ったのにすぐにそれを破った事、
一、朝のお祈願はお講師様から最初、したらどうかと 言われたので始めたのであって自分の本心からではないので、したりしなかったり、 いい加減であっても仕方がないと思った心、
一、自分は信心がいい加減だと口では言っても、本当に改良しようとしなかった心、
一、お看経の拍子木の音が世間に聞こえると恥ずかしいと思った心、
一、いくら おさんげしても自分は又同じくり返しをするから、おさんげしても同じ事だと思った心、
一、お講師様に対し心からお敬いができず、何ごと もお講師様にご相談してからご奉公させて頂く気持ちのない心、
この他にもまだまだたくさんの心の謗法があると思いますが一まず思いうかんだ事をおさんげさせて頂きます。
という文です。昨年七月十九日には、百戸達成。七月二十三日、 当寺大尊師百回御遠諱法要には百三戸成就。心からの御礼言上ができました。昨年十一月末には百六十八戸成就です。私はこの久男の懴悔状に涙がでました。ご信心の面においても、人格の面においてもここまでよくぞ成長したと思いました。お父さんの小倉笑次さん七十九歳、十年前肝臓ガンで意識不明。あと三日しかもたないと医師から言われ、それで今まで信心の薄かった四人の子供たちが信心改良、(そのころ久男は東京に行っていました)父親宅でリレー式の助行を始めたところ、笑次さん意識を回復、お題目口唱一筋でなんの手当も受けずに年ごとにガンが小さくなり(保健所の健康診断の検査ではガンがはっきりでていました)現在は全くなくなり、毎日お元気で自転車でご参詣しておられます。笑次さん、ユキさんご信心が人柄に現れ現代世相にない正直な、朴訥(田舎々々しい純粋)な方々です。お二方は、『お導師さん、うちでは子供たちが皆、 親の私たちをよくみてくれます。周囲の家々のことを聞きますと全然違います。最近の世間は親と子供が皆別々で、ひどいものですネ。私たちはご信心のお陰で有り難いものです。』とよく言われます。
また、久男を中心とした弘通部員の活躍は私から言うのもどうかとも思いますが、駆け引きなしに目覚ましいものがあります。連日のごとく助行折伏に回っております。若い者たちの現証体験にはすばらしいものがあります。久男は弘通部員から折伏受けたと言っては、よく喜んでおります。今年は、弘通部員も増え、当寺弘通部の発願で、本年度のご本尊奉安百戸教化誓願を四月末までに達成しようということを決めて御奉公を始めたようです。私は若さにまかせるのもよいが、どうかと内心思いながら見守っていました。それが四月十三日に百戸達成、そして更に本年度十一月末で二百五十一戸という今までにないお教化が成就しております。
今年九月、小倉久男を局長にしました。久男は私に『お導師さん儂は足らんところが多いが、局長勤まるだろうか』と言いますから、私は、『お前は自分が足らんと思っている間は勤まるだろうが、局長らしくなって自分が足ったと思った時は、お前の信心はだめになった時だろうな』と言いました。『そんなら儂は足らんこと分かっているんだから、いつも足らんと思つて御奉公していたらよいんやな』こう言います。 『そうじゃ』と言って、彼の御奉公が始まりました。現在ご法を絶対にしております。久男自身もお教化をし、教化子に折伏、助行してすばらしい御利益を感得させております。そして、その教化子がまた教化して御利益をいただかすという連続劇が行なわれております。本人は余り格好はつけません。悪いことはあっさりゲロしてしまいます。正義感が強く人の面倒もよくみます。み過ぎて失敗していることはあります。皆から親しまれているようです。弘通次長の日高隆とは喧嘩友達です。目の前では『お前は』『お前は』で言い合っていますが、私の前やら陰では、お互いに相手を立て合っております。私はこれをほほえましく見ております。当寺の信者はそういう育ち方をしております。これからの成長が楽しみです。
彼の心、人格を根底から変えた、いや彼だけでなく当寺のほとんどの人の心、人格がすばらしく善くなって行き、言葉にも言い尽くせない御利益現証を拝見する姿にうたれる時、私はそれの分からない人たちを哀れに思います。ご法様の偉大な御経力の深さは、求めれば求めるほど深いものであり、体験もなく分かり切つたように言っている人には唖然としております。
仏立開導日扇聖人御指南に
『南無妙法蓮華経ト唱ル人ヲ昼夜身ニ影ノ添フガ如ク響ノ音ニ応ズルガ如ク 釈尊上行日蓮大士ハ守らせ給 ふこと信者少シモ疑フコトナカレ此御事心腑ニ染付キ骨身ニコタヘテ感得シ奉レルウレシサハ 筆紙ニ尽ス事能ハズ 経云唯独自明了余人所不見文』
心理学でユングは宗教の問題点を次のように述べています。(原文そのまま)『私を非難する神学者たちは悲劇的としか呼びようのない偏見に惑わされて、問題は光の存在そのものにあるのではなく、眼は見るためにあるということを知らない盲目の人間がいるという点にあるのだということが、全然見抜けないのである。見ることのできる者がいないのに、光を讃美したり説いたりしたところで全然意味はないということに、一体いつになったら気づくのであろうか。光について語ることよりも、むしろ人間に見る術を教えることの方が先決問題ではあるまいか。というのも、聖なる諸形象と自分の心とのあいだに相関関係を見出しえない人々が余りにも多すぎるということ、これは実に明白な事実だからである。つまり、こういう人たちは、神的な諸形象に対応する像が自分自身の無意識の中に眠っているということも見抜けなければ、もちろんその眠りの深さがどの程度であるかも見抜けないのである。このような内的視線を可能にするためには、見る能力への道が切り開かれなければならない。』