六十五才を過ぎた婆さんに信仰の話をしてくれと頼まれた。素朴な方のようなので、難しいことは抜きにして、この宗教は仏教だ、と強調するため、単刀直入に「お釈迦さんは、ご存じですね」と話しかけた。
「ハイ、聞いたことはありますが、まだお逢いしておりません」と、返ってきた。これには私も思わず戸惑った、次の話をどのようにしようかと暫く考えさせられた。まあ何とかお話をして解って頂いたが、それにはあきれるより余りの素朴さに微笑ましくさえ感じた。近ごろはお釈迦さんと言えば、若い者でも一言で仏教だと印象づけられる。宗教の興味が若い世代に出来ていることは確かだ。外人に「お釈迦さん」と言うと「オー、ブッダ」という言葉が返ってくることが多い。
どうも最近は中年以上がドライである。そのくせなんでもよいという信心渡り歩きの信仰屋さんが多い。中年以上の女性に多いようである。
最近、欧米で仏教が見直されている。仏教との関連か、「こころ」が深く認識されるようになった。「トランスパーソナル」という「こころを深く探求する、個を越える」、という「こころ」をテーマにした科学としての学術的探求に成果を上げている。この分野には日本は遅れている。
話は少し横道にそれるが、先日その筋では有数な学者に入り地球環境問題で世界を飛び回って、一向一ところに腰の暖まらない学者が訪れて来た。
親代々からの付き合いで、幼い時分から子供と同じに育てて来た男なので世間では先生とか何とかいわれているが、四十才過ぎ五十にも手が届く年頃であるのに未だに私は子供時代の呼び捨てである。
彼も忙しい身であるので、膝を交える機会が薄いが、日本におれば親のように思って訪ねて来てくれる。いつも時間を忘れて話し込んでしまう。時分どきになると家内が気を利かして飯を用意する。酒は程よくでなく、随分と喰らって帰る。
お互い長い付き合いであるから遠慮ないほうで言いたいことを言い合う。私は宗教家であるし現在の宗教界の様相に腹を立てて喋る。そのことから「おい、東京で一つ講演会をぶってみようかと思うが、どうだろうか、お前さん一人ぐらいは来てくれるだろうが、がらんと空いた会場で喋るのも、どうも淋しかろうな」と言ったら、彼が、
「お導師、良いことがある、インターネットをやりなさい、それによって世界の情報もつかめるし、こちらからもお導師の言っていることを情報として流せますよ」と言ってそのカラクリ仕組みを要点よく教えてくれた。有機体宇宙論科学を勉強している矢先であるから、成る程システムを機械科学に取り入れたな、と思った。
その後、本を買ってインターネットを勉強しようと思ったが、何せワープロを打っていたぐらいだし、戦前派、満七十二才というお年では、横文字英語には弱い。アメリカが開発しただけに解説書にも英語、パソコンの略語が多い、難行苦行であった。やっと今初歩的操作はできるようになった。実のところは、息子が師匠のようなものであったが、息子に教えてもらったと言うのもくやしいから、自分で勉強したように言い触らしている。
所で、機械は分かったが、書くのは私である。よし書いてやろうと、意気込んでいるが、調べてみたら、種々雑多のサーチエンジンで、ポルノまである。
ほんの隅っこでホームページを登録し、開いてもらうということであるから、講演会に来てくれるだろうかなどころではない。読んでくれるだろうかという気持ちである。堅苦しい宗教家の話と思わず先ず先ず読んでくだされ。内容は真面目、真剣そのものである。
住職 植田日因(淳明)