植田 日因(淳明)
『真実に帰れ!』と叫ぶ仏教宗団です
従来所属していた本門仏立宗が宗の現代化と称して、ヒエラルキー(階級制度と官僚性の合わされたもの)の宗内行政、組織の細分化、寺院を歯車の噛み合わせのようにして権力のあるものが運転次第で全歯車が動く仕組み、権勢派閥の陰での抗争、行事の華麗化、本音と建前を変えた説法信心の仕方、芸能人を呼んで講演させての信者勧誘企画、イベントで信者を魅了させて信仰心を扇ぐ形式主義信仰態勢等々、現科学界でも批判されている啓蒙的合理化宗団と化し.機械的合理科学心酔ー途の宗団になってしまっています。真実仏教の神髄は見失っています。これはあらゆる宗教宗団にも言えることではないでしょうか。
欧米では、1960年代、世界で最も著名なあらゆる分野の科学者たちが寄り合ったシンポジウムの結論として還元主義機械的宇宙論は論駁され、有機体宇宙論の新しいパラダイムが起こりました。そしてトランスパーソナル(個を越える、心の探求)という学術的理論に多数の欧米科学者たちが真剣に取り組み、研究、体験による素晴らしい成果を今日挙げております。
機械的宇宙論の還元主義、いわゆる機械的合理主義は、1960年代までは止まることを知らず暴走していました。そのままこれが続くことになれば深刻な環境問題や社会問題(現在、具現化している”登校拒否””いじめ””自殺”など異常な様相を呈している子ども世界、精神異常者とそれによる犯罪の氾濫そして狂乱的政治問題といった社会状況など)が起こるであろうと、当時の欧米科学者たちは予言していたのです。それで心ある科学者達が還元主義機械的合理科学の進展に対して、歯止めをしたのです。それを契機にその後の有機的宇宙論が欧米の科学界の本流となり、トランスパーソナルという論にまで発展したのです。
終戦後、日本は当時の古い西洋科学を導入し、個の確立、また物質文明の発展を急ぐ余り、東洋的精神的態度の日本人がその精神的叡知を見失い、合理主義、所謂、機械的宇宙論還元主義一筋の科学形態で有機体宇宙論は異端派の学問と毛嫌いしていました。然し従来の日本科学にも行き詰まりを生じ、ここ10年前、その導入をせなければならなくなったというのが現実です。
一昨年東京の神保町の書店三省堂で、麗々しく[トランスパーソナルコーナ]と垂れ幕が下がり、それに関する欧米の翻訳書物がずらりと並んでおりました。筆者私は「日本にも黎明の時が来たか!」と嬉しく思い、つい多くの冊数を買い込んでしまいました。その翌年三省堂に寄りましたが、もうそのコーナはありません。店員さんにその売れ行きを聞きましたら「さっぱり売れませんでした」という答えでした。「日本人は不勉強だね」と思わず言ったら「全くですよ」と、つぶやいておりました。江戸時代からの文明開化もまだまだのようです。現在、超個とか心の探求という感覚は、個から出切れない閉鎖的日本人には視線が及ばないのだと思いました。それを扱うのが仏教である筈であるが、仏教界の指導者も現代化と称する物質中心の合理主義に感化され、その修行指導が形式化して、仏教徒共々というところでしょう。旧所属していた本門仏立宗もご多分に漏れないということ、残念ながら現実です。
それで私たち本薫寺の者は『生きた信仰.宗教として』それを世に知らせるため平成三年本門仏立宗の宗教法人法から離脱して【本薫寺】という単独の宗教法人法を設立しました
其の修行の内容を明瞭にするため宗名を安政四年に日扇上人が開かれた原点の『本門仏立講』.又『本門仏立講護法信衛連』と名乗り.一切の人びとや.社会を真実に救済をするという活動をしております
本門仏立宗から宗教法人を離脱した翌年平成四年九月、本門仏立宗の全国寺院の住職局長信者宛て『本門仏立宗 宗門にもの申す』として.離脱の理由を冊子として送っておきました
その理由としての申し条は種々と述べておりますが.そのくだりの序文になる項を其のまま掲載してみます
はじめに
私は、明年は古希を迎えようとする齢になっている。もうこんなに生きてきたかと思うと自分ながらあきれかえっているしだい。小さい時生まれつき心臓に穴が空いていることが分かり、心臓の弁も異常で弁膜症だと診断され、到底二十歳までは生きないと医者からも折り紙がつけられた。小学校時代は遠足にも行けなかった。行けば先生に背負われて帰ってきたのを覚えている。母親が運動会で走ったことのない我が子に「おまえの運動会は一つも楽しみがない」と言うものだから、ひとつ親孝行してやろうと思って運動会で走ったら、半周もせぬうちにぶっ倒れ青くなって衛生室にかつぎ込まれる始末。そんな自分がうらめしく思っていたら、戦時中の学生生活で軍事教練にこっぴどく鍛えられ、学徒動員とかで兵隊にとられ、ぶっ倒れて陸軍病院に入院するという日本軍人にあるまじき不名誉を冒し、終戦、そして教員生活、得度という段取りでまことに起伏の多い人生であったと回顧している。そういう自分であるから、私は常に死と対面している感じがしていた。二十歳を越えたら、ああ二十歳を越えたなと思い、三十歳はどうだろうか思い思いしていたら三十歳を越え、四十歳になったら少し開き直り、何とか五十歳まではと力んでみた。やっと五十歳になってなんぼなんでも六十歳は不可能だろうと観念していたら、六十を過ぎた。「明年は古希ですよ」と家内から言われ、へえーっとびっくりしている始末。よくもまあこんなに生きてきたものだと自分ながら感心している。何かのときに私を診てくれる医者は、心臓の内容を知って驚き、どの医者からも二十数年来重症と診断されている。市医師会病院の院長が「ようまあ今まで生きておりましたなあ」というごあいさつ。市立病院の循環器内科部長からは医学会の研究材料にさせてくれと申し込まれた。
何せ、私の心臓も現在では心臓の僧帽弁が開けっ放しで、一たん心房に入った血液が、心室に逆流するという状況、例えば一升入った血液が五合逆流して外へ出てしまうのだから始末が悪い。その上心壁に穴が空いているものだから、それが風洞になり、その逆流を一層激しく作用して心臓内の血潮が鳴門海峡のように渦巻いている。結果、心臓は本来の大きさより倍以上にはれ上がってしまって、心壁は一センチ以上の厚さになってしまい、心臓の収縮がやっとこさという状況である。丁度、廃車になった車が時々エンストをおこしながら動いているというような事で、まことに粗末な塩梅である。 そういう心臓を持つ私が、今古希を迎えようとしている。今日まで御信心してきたのが、本当にありがたく思っている。御経力なくては今日の私はなかったということをつくづく痛感している。
ところで、この齢になって余生をどのように使おうかと思った。臨終の大苦を受けることも怖いし、本当の事をして死にたいと痛切に思うようになった。そういう見地から自分が長らく御奉公してきた本門仏立宗を見たとき、随分と変遷し、本門仏立宗の本来の姿が現在全くなくなっていることに気がついた。それは、とうとうと流れる時代の激流に宗門自体が流され、いつのまにかとんでもない方向に流れが変わってしまっているということである。本門仏立宗自体、自分自身の本来の姿を全く見失っているということである。
そのことについて更に言えば、物理現象に慣性ということがあるが、転げだしたら止まらないというやつである。宗門の流れが当にそれである。過去に“いろはにほへと”と行っていたのが、時代に合わせるというので、“ABCDEFG”とやりだし、それも西洋文明の有り難屋さんが寄ってたかってその虜になり、果ては止まるところを知らないという状況まで宗門を追いやり、さて今日歴史は繰り返すで元の古きを要求する時代性になったからというので“ちりぬるをわか”と進もうとしても本性まで“ABCD”と、どっぷり浸かってしまった宗門が“いろはにほへと”の感覚も今更起こらず、訳の分からぬまま、慣性惰性で暴走しているのが実情である。
私は、宗内にいる時分からこのことに苦慮し悩みもし、師匠十八世講有日地上人に絶えず進言し、元の清らかな流れに戻すことを試み、師匠も同感の意を表しておられたが、大勢やむなくで、無理なことを知った。中には私と同等、流されてはいけないんだと言っている人もあったが、人間関係の相乗作用で結局その人も流されてしまっている。本来、“いろはにほへとちりぬるをわか”と大勢の流れに流されまいと必死にもがいて来た私、本薫寺は宗門の感覚、体質、目指す方向性とは全く異質なものであり水と油のようなもので相容れぬものであるということを悟った。そして、流れの中に有る限りは自分も流される、弟子も流される、信者も流される、そこで私は流れから思い切って出て本来の流れにつこうと決意した。流れに逆らって漕いでいた本薫寺の船を思い切って丘に引き上げ、元々の正常な流れに船を浮かべ直すという作業をした。すなわち宗教法人本門仏立宗法から離脱して宗教法人本薫寺法を設立し、信行形態も安政四年本門仏立講を開かれた日扇上人のお教えお心のままに進むことにより、心を大事にして、菩薩行(一切を救う真の慈悲行)を行い、現世成仏(現在仏になること)をはたし、それによる経力、御利益現証は必ず現れるという、絶対のご信心の行き方をとることにした。
※現証とは、成仏する現実の証拠